おとなんつづり

オトナになっても純粋に。硬い心を柔らかくする為のブログ。

はっきり断る勇気を持とう。我慢して演じていたら本当の付き合いは出来ない。

大人世代になり、友人との付き合い方が変わったなぁと思います。

今まで沢山の方と接してきて、今本当に大事だと思える友人はみんな自分を持っています。好きな事や良いなと思うことに突き進み、誘いを断る事に迷いがありません。表面だけの共感は、その場だけで長く続きませんね。

 

 

 

自分を持っている自由な友人たち

 

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私にはちょっとヘンな癖があるんです。

はっきり断れない、ビシッと自己主張出来ないほうなので、それが出来ているキラキラした人に惹かれてしまい・・・自分からお近づきになってしまう。ちょっとしたマゾかもしれない。

 

例えば一緒に出掛けて、私が「わぁいいな!これ可愛い」と言っても、友人たちは自分をしっかり持っているので「ふふふ。あらそう、良かったね。買えば?」と笑って終わりです。

 

友人は可愛いと思っていないので、一緒になって「可愛い~」とは言わない。

「可愛くない」などと否定もしないのです。

(あ・・・お酒が入ると否定されますけどね!ま、いいんですっお酒の席は。)

 

 

 

何でもキャッキャウフフと、共感してくれる方が気が楽なはずなのに。

振り返ってみるとそんな付き合いは遠のき、ビシッと自分を持っている友人たちが残りました。

 

 

相手に合わせつつ、きっぱり断る潔さ 

 

そんな友人たちの中に「共感っぽい」行動をする人がいます。

いつも私がメインで、私が喜ぶ事を一生懸命考えてくれる。もちろん、さっきと同じように、私が可愛いと言っても一緒になってキャッキャウフフとしませんけどね。ニコニコしてくれますが。

 

例えばこんな感じです。

「オトナンちゃん、どっちがいい?私はどっちも好きだから選んで~」

「何食べたい?これオススメだけど、他に食べたいのがあるならそれでもいいよ」

「これからどこに行こうか。オトナンちゃん気になるところある?」

 

 

 

最初はこれ、疲れちゃったんです。

もっと自分の好きなことを主張すればいいのにって。相手に合わせてばかりで疲れないのかなって。ところが長い付き合いで分かったんですが・・・

この友人は、相手の喜びが自分の喜びなのです。

 

貴重な存在なんですよ。世の中には菩薩のような人が居るのです。

いつもほんわか、まったり。でしゃばらない。 他の友人にビシーッと言われてもニコニコしています。友人の中で1番の酒豪ですけどね。なんでこう私の周りは酒好きばかりなんでしょう!・・・自分も呑むからか。あ、関係無かったですね、お酒の話は。

 

それでね。あぁ甘えちゃおうかな~と心を開いて誘ってみるんですよ。菩薩だから。ところが、都合が悪いときや、興味が無いときはきっぱり断ってきます。

 

 

 

「オトナンちゃん、ごめん。○○したいからやめとくわ~」

 

ま、負けた。○○に負けた・・・私の誘いよりも、そっちが魅力的なのね。悲しい。でもいいの、いつも合わせてくれてありがとう。楽しんでらっしゃいな。思う存分にね!と思える。

 

思いやりを持って相手に合わせることは、表面だけの共感とまるで違いますね。 

 

 

断っても、相手を否定したことにはならない

 

こんな感じで、ビシーッと自己主張するタイプ、ほんわか人に合わせるタイプと色々な友人がいますが、共通しているのは「はっきりと断る」こと。潔いんです。

 

そこで思うんですが、断れない理由は何でしょう?

(ここで言っている断りとは、身近な人との軽いやり取りでの話ですよ。)

「相手をガッカリさせてしまうから」「傷つけたくない」「嫌われたくない」などだと思うんですよね。

 

だけどそれは、その「行動」について断っただけで、相手を否定してるわけじゃない。

そこをけっこう勘違いしてしまいがち。夫婦間の喧嘩もそうじゃないでしょうか。

 

 

起きてしまった事への捉え方

 

断る、断らないとは話がそれてしまうけど・・・

例えば、奥さんが大事にしているお皿を、うっかり旦那さんが割ってしまったのに黙っていたとします。黙っていたという行動の裏には「ガッカリさせたくない」という思いやりが隠れているのに、割った事ばかりにとらわれてしまう。

 

割ったのに、黙ってる魂胆が気に入らない!って。

私が大事にしてたのを知ってて、なぜ粗末に扱ったんだ!って。

 

 

 

そうじゃないんですよね。

割られてしまったショックが強すぎて、そこばかり見てしまうけれど。

なぜ黙っていたのか、相手の本当の気持ちを知ろうとしなくては。お皿が割れてしまっただけのことで、人格を否定しているわけじゃありません。

一緒にお皿を探す旅に出たら楽しくなるかもしれませんよ。モノは考えようです。

 

付き合いで誘いを断るのも同じように、相手を否定したわけじゃなく「目的」を断っただけですからね。

 

 

心を開いて楽しんだ方が、相手も心地良い

 

人と付き合うのに、相手の顔色を見て本音を言えないのは、逆に疲れさせてしまう事があると思うんです。相手が心を開いてくれている時は特に。

 

断られた事で「つまらないから断られたんだな」などと、落ち込むのも馬鹿げています。直接聞いたわけでもないのに「こう思ってるんじゃないか」が、いつのまにか「いや、きっとそうに決まってる」に変わってしまう。

実際はそんな事これっぽちも起きていないのだから。もし、直接言われたとしても「あそう、じゃ一人で楽しんじゃおう~」くらいの軽い気持ちでいいんです。

 

 

 

考え方が違うからこそ、気付きがあって楽しい。

 

世の中同じ人なんて1人も居ないのだから。

この違いを楽しんじゃった方が断然良いのです。

これはSNSでも言えますね。

 

 

本当の友人を作るのは自分次第 

 

友人は沢山いなくても良い。本当に心から分かち合える仲ならば、数なんてどうでもいいこと。まだ、そんな人に出会っていなくても、違いを楽しむことが出来れば、いくらでも機会はあるんじゃないでしょうか。

 

心から一緒に笑い合える人が居るかどうかで、人生の後半は大きく変わっていくように思います。

 

 

 

思ってることを書いてみたけれど、まとまらなかったかもしれないなぁ。夫婦喧嘩の例えが悪かったかな。国宝級の皿を割られたら怒るもんね。そういう事もあるわ・・・。

  

人に迷惑さえかけなければ、自由に楽しく生きた方が、相手も楽しいって言いたかったんです。 

えらそうに色々書きました。そうありたいなぁという理想を書いてみました。まだそう割り切って行動出来てないんですよ。

先日もまた、きっぱり断られ少々凹みつつ、お土産話を待っています。旅先で友人が楽しく笑っている様子が浮かんで、記事にしてみました。

 

きっぱり断られるのに慣れると、逆に誘いやすくなるもんですねっ。